ドイツのCOVID-19出口戦略を支えるデータと統計への執念
ドイツのブンデスリーガはコロナ禍で中断していたリーグ戦を5月16日に世界に先駆けて再開し、入れ替え戦を含めた今季の全日程を昨日完遂しました。
無観客で行われたゲームは国内有料チャンネルの視聴が平均600万人を超え、これは通常時の倍です。また、再開後3節目からはAmazon Primevideoでのライブ放送(今季よりAWSはブンデスリーガのオフィシャルスポンサーで、ゲームスタティスティクスの提供を行っています)が開始され、ファンの体験、財政の両面でリーグの存続を支えました。
日本よりも多くの死者を出しているにも関わらず、どうしてこんなことが可能なのでしょうか?
実際、再開直前の世論調査では半数を超えるドイツ人が再開は好ましくないと答えていて、一筋縄でここまで漕ぎ着けたわけではありません。しかしサッカーはドイツの日常になくてはならないもので、サッカー協会は連邦政府、州政府と法的拘束力を持ったガイドラインを作り上げ、制限下でも各チームの公平性と継続性を確保してゲームを敢行しました。
そこでは数ヶ月にわたって蓄積されたデータと統計によるリスクマネージメントが使われています。これを理解するためには、COVID-19以前の準備から現在までのドイツの取り組みを振り返る必要があります。
現在の状況
州によって実施状況にばらつきがありますが、5月より段階的に防疫措置が緩和され、最大の人口を抱えるノルトラインヴェストファーレン州では、
- 11人以上の会合禁止
- 100人以上のイベントの禁止
- クラブ、性サービス業の営業禁止
が継続されている以外は、感染対策レギュレーションの下でほとんどの経済活動、人の移動が再開されています。
また、患者発生件数、死亡件数は低位に安定し、食肉加工工場や宗教コミュニティー内よるアウトブレークは早期に検知され、郡レベル以上の防疫措置再開はなく、市中感染はコントロールされていると言えます。
ノルトライン=ヴェストファーレン(NRW)州内における新型コロナウイルス感染状況について
個人的な感覚を付け加えるなら、クラスター対策班の活躍で3月の第一波を巧みに乗り切った日本の状況に似ています。
レストランや商店での仕切り板の設置や距離が取れない状況でのマスクの着用、着席時に記入する名簿の4週間の保持といったレギュレーションは営業許可と結びついているため厳密に守られ、客も店も驚くほど順応していて、政府が示す規則に従って生活をしていれば、死ぬことはないという安心感が共有されています。
最初から長期戦を想定した戦略策定と実施
オープンな医療コミュニティーとその信頼
2020年1月7日に武漢で発生している肺炎が新型のコロナウイルスが原因であるとWHOが発表した時点で、ドイツの大学病院(ベルリンのCharitéを中心とする臨床医療)、研究機関(ロベルトコッホ研究所:RKI)、医薬・装置・器具企業といった医療コミュニティーはすぐに対応に乗り出します。
- SARSの経験から、呼吸器に症状をきたすコロナウイルスは致命的である。
- 確立した治療法、治療薬は存在しない。
- 現在の技術の延長ではワクチン接種が開発、普及するのに数年はかかり、効能も未知。
- 感染力が未知だが、パンデミックが起これば国民の70%が感染する恐れがあり、多数の犠牲者を出す。
このオープンな医療コミュニティーの存在が、3月ごろに他のヨーロッパ諸国で「比較的うまくやっているドイツ」という対比報道に現れ、Charitéのウイルス学者がその模様を語っています。
未知の脅威に対応するために、科学的なデータを集め、それによる対応策を練り、政治に働きかけます。何よりも患者統計をとることが大きな武器になるため、その手法の確立に尽力します。
1月14日にGenBankに解読されたSARS-CoV-2のゲノム配列が公開さると、わずか3日後の17日にドイツは世界初のテストキットを完成させます。安全で正確なRT-PCR検査手順をオンラインで公開して他国に技術を提供し、検査に必要な試薬と資材の調達を開始します。これはドイツで初めて人から人へ感染したCOVID-19患者が確認される1月27日より前の出来事です。
この結果、3月中旬には週50万件のPCR検査キャパシティを確保し、それが現在のデータドリブンな防疫措置解除と出口戦略につながっています。
政治の責任
連邦制という政治制度から、国としてこういった危機への対応は合意形成に時間がかかることが常で、メルケル首相の対応もあと1、2週間早ければかなり状況が違っていたという分析は多くあります。
しかしそのメッセージは医療コミュニティーへの全幅の信頼と自国の医療制度に対する自信に基づいていて、実際、ビデオ演説に到るまでには人工呼吸器付きベッドの新設への補助金など、対応できる医療キャパシティ拡充へ連邦政府ができることは政治の責任で行ってきたことがわかります。
政治的な初動の遅れはむしろ州政府に顕著で、3月の国内エピデミックは、2月のNRW州のカーニバルで発生したクラスタと、冬休みにイタリアのスキーリゾートからの帰宅者の隔離に失敗したバイエルン州で発生した患者群がきっかけになりました。
モニタリングの確立とそこから導けるもの
RKIは、ドイツ語と英語で毎日詳細なレポートを発信しています。職業別、年齢別、臨床状況、など広く集められたデータから様々な分析がされていますが、特に注目すべきは郡・都市圏レベルで7日間のヒートマップが作成できていることです。
これによりリスクの高い地域が絞り込まれ、拡散への対応と次の一手が検討できます。
全体としては、十分な基礎データ量から実際的な再生産数Rが計測でき、これが1を超えないよう、超えたとしても長く続かないように対応しています。
ドイツのRは気象予報などで使われるNowcastingが4月から採用され、症状の診断タイミングから今現在の実際の患者数が高い精度で推定できます。これも蓄積されたデータと検査キャパシティの大きさでなせるワザで、R計算はNowcastingで出る現在の推定患者数を、4日前、7日前の数字で割るだけと、かなり単純化されています。ベルリンオフィスのリサーチャーのMonaが簡単にまとめています。
西浦教授が都道府県のプレスリリースを手作業で集計してなんとか動態でRを算出している日本の状況とかなり開きがあります。
ブンデスリーガ再開のアプローチ
ブンデスリーガは会場のゾーニングなど接触の低減でリスクをマネージする手法と、RKIとの協力で得た疫学的知見から、再開におけるルールを策定しました。
これは例えばチーム内で感染者が出た場合に、チーム全体が試合に参加できずに残節のゲーム性を失うことがないよう公平性を確保することが含まれています。
再開前の選手、スタッフの2週間の隔離から始まり、45日間の再開シーズン中に実施された試合前日のPCR全検査は、Nowcastingで時間の経過とともに狭まるPI(予測幅)から導き出したコントロール手法で、脱落者発生時の隔離対象、範囲も事前に取り決められました。
当面続く新しい生活習慣の効率化
RKIは日本のCOCOAにあたる接触管理アプリCorona Warn-Appのリリースオーナーでもあり、7月7日時点で1510万件ダウンロードされています。
機能的にほとんどCOCOAと変わりませんが、統一されたQRコードでの検査結果登録や、ハイリスク警告後のPCR検査へのプロセスが案内されるなど、新しい生活習慣を効率化するための実装が着実に行われています。
地域の大学病院はいくつかの都市でIgM、IgGの両方を検出する最新の抗体検査キットを使ったサンプリング調査も開始し、出口戦略に関わる新たな施策の根拠となる統計を次々と集計しています。
この半年間で失策がありつつも、国民の信頼と安心が醸成されている背景には、この数字に対するドイツ人の執念ともいえるこだわりがあると感じます。